ここ数日、岐阜県庁の裏金処理が発覚し、大きな話題となっている。現在、この件については、調査中の部分もあるので、感想程度のコメントしかできない部分もあるが、あらためて、役所の決まりごとの不自由さを感じた。
なぜ、裏金を作らざるを得なかったのか?事の発端は、随分前から庁内各課に配当された予算の執行残を各課でプールしていたらしく、数年前からこれを職員組合費の名目で一括してプールしておくようになったらしいのだが、さらにその処理に困るようになって、明るみに出たらしい。
役所の予算は、民間の事業資金と異なり、庁内での予算査定から議会の審議、承認を経た上で決定されるため、予算総計主義(法律で定められている)といって、収支金額が最初からイコールでなければならないとされている。しかし、台風や地震等の自然災害の影響や用地買収に係る利害関係者との話し合いの結果、予算の当初の見込みから実際に支出する額に大きな開きを生じてしまうことは仕方のないことである。そもそも、これから1年先に起こる出来事について、かかる費用を1円単位まできっちりと予測すること自体、人間には不可能なことである。
もし、今回の不正事件が、役所側の論理で、余らせてしまった予算の額が大きかったから、住民(議会)に対して、税金を納めさせすぎたことに十分な説明できない、というものがあったのならば、今後は、余った理由をきっちりと説明すればよい。納得できる説明ならば、我々、納税者も役所の話に、聞く耳を持つだろう。
今回の事件によって失ったものの大切さ、事の重大性に岐阜県の職員は、どれだけ気付いているだろうか。県民との間に失われた信頼関係や役所の施策に対する信用の回復には、今回、発覚した裏金の何十倍の費用がかかるだろう。
うまくやったつもりが結局、一番高くついたことになったのである。
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